即興ショートショート「人魚に関する幾つかの考察」

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お題:元気な経歴 時間:30分

 

 海の底に溜まっているそれらの痛んだ様や、折れている様子などは、かつての元気な経歴の名残のように思われた。

「いやあ、これはすごいですねえ。」
「深海の神秘って感じだよな。」

 豪華客船は、その名残もなく、海に潜む群像たちの棲家と化している。

「キショ魚も多数住まわれてますね、この船。」
「軟体動物すぎて、もう、これが魚なのかも怪しいものだけどな。」

 潜水艦には、教授と運転士が二名。

「しかし、教授。本当に見られるのですか。この場所で。」
「私は、この研究に人生の三分の一を費やしているのだぞ。」
 
 間違えるはずがない。その教授の瞳には光が宿っていた。

「いや、教授のことは信用していますよ。けれど、やはり私には些かお伽噺的に感じちゃうんですよねえ。」
「私のデータ上、間違いないはずなんだ。」

 深海の闇にサーチライトが忙しなく蠢く。

「ここに、人魚が暮らしてる、と。」
「ああ、その通りだ。」
 
 教授は人魚の存在を証明するために研究を重ねていた。

「でもね、教授、俺は、教授側の人間だからね。こう、そこまで言わないですけど。なかなかに狂ってますよ。人魚の研究なんて。凄いっすよ。」
「まあ、外野の声なんてものは物証が揃えば何とでもなる。」

 人魚は人の上半身に魚の下半身で泳ぎ回る生き物と言われている。

「金にも何なかった訳じゃないですか。この研究。酔狂でしかないでしょ。」
「まあ、私には確証があったからね。」

 そういうと教授は笑いながら、こう話す。
 私は、実際に人魚と会ったことがあるんだ、と。

 
 海に飛び込んで、命を失おう。
 せめて最後くらい、人生をドラマチックに。
 喋るだけの棒、みたいに言われても。
 決して手放さなかった海の生き物図鑑。

 そんなびしょ濡れの手を引いて。
 岸まで運んで人工呼吸。
 唇に触れた磯淡い感触。
 彼女の体は半分が鱗で覆われていた。

 貝のピアスを揺らしながら。
 息を吹き返した僕にビンタした。

 「生きろよ、馬鹿。」
 波音が耳に残る。
 銀河みたいな淡い紺の髪が流れて。
 僕は、思わず恋に落ちた。

 それから人魚に会いに海へよくきた。
 話すのは生き物の不思議。
 今日の給食。
 それから、満点の星空の話。

 人魚は僕の話を。
 笑いながら怒りながら、悲しく思いながら。
 頷きながら聞いてくれていた。
 彼女の人の心の部分が嬉しかった。

 けれど、ある日、彼女は僕に告げた。
 人間との恋は、人魚には禁忌だって。

 「生きてね、これから。」
 波音が耳に残る。
 銀河みたいな淡い紺の髪が流れて。
 僕の瞳から涙が落ちた。

 さよならだけが、海の底に落ちて。

 「生きろよ、馬鹿。」
 波音が耳に残る。
 銀河みたいな淡い紺の髪が流れて。
 僕は、思わず恋に落ちた。

 波音は相変わらずうるさくて。
 浜辺に残るのは、残された僕の鼓動と、彼女がいたという確かな記憶。


 サーチライトの光は闇雲に人魚の存在を見つけ出そうとする。

「メルヘンも信じ続ければ、本物になるって話っすか。凄いっすね。」
「私は、彼女に会えると信じているんだよ。」

 男の人生を半分以上棒に振らせるような、そんな出会い。

紙一重っすね。」
「恋も酔狂も一体何が違うというのだね。」

 そんな拍子。

「没入感が常人のそれじゃないですよ。」
「きっとドラマを見てしまったのだろうね。」

 闇の中にきらりと光る何か。

「人生を賭けるって、どうでしたか。」
「ほとんどが最悪で。今だけだな。」

 それは貝をモチーフにした。

「今だけ。」
「全てが報われるのは。」

 ピアスの片方だった。

「死ななくてよかったって思います?」
「うーん。」

 教授は、モニターに写るそれらを見ながら答えた。

 今なら、少し、そう思えるかな。
 瞳に流れるそれは、人魚の髪よりも美しく輝いていた。

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