銀杏BOYZの『少年少女』が、あの頃の自分を呼び起こしてくれた話。
高校生時代、狂ったように峯田和伸の歌声を聴いていた時代があった。思えば、あの十六歳、十七歳、十八歳は何も思うようにいかなくて、親が嫌いで、学校が嫌いで、好きな人が嫌いで、それから自分自身のことも大嫌いだった。松本人志やラーメンズ、それからヨーロッパ企画に卒倒し、現実から逃避するように演劇を行い、小説を書いて過ごした時代。そんなどうしようもなかった青春に、峯田は『光』だった。
すべての創作物は誰かの何かに影響を及ぼす。銀杏BOYZやGOING STEADYの楽曲は、それまでヒットチャートに掲載するようなJポップしか聴いてこなかった自分に、生き方を教えてくれた。
『BABY BABY』は、ドキドキと夢のようなロマンスを。
『童貞ソー・ヤング』は恋も何もかも上手く行かない自分に泥臭くも真っすぐな気持ちを。
『援助交際』は純粋無垢だった自分に困惑と熱狂を。
『SKOOL KILL』は混沌とした青春時代に更なる混乱を。
そして『夢で逢えたら』は、そのどうしようもなかった人生に生きる希望を。
もしも、あの時、峯田の声が無ければ、と思うような夜がたくさんあって、そんな夜を数えれば数えるほど、彼の作り出した楽曲がBGMのように流れてくる。峯田の歌詞はとにかく優しい。誰の隣でも寄り添ってくれるような魅力にあふれている。
けれど、人はいずれ大人になる。
どうしようもなかった夜を何度も超えて、人は強くなり、また成長を繰り返す。未熟だった言葉や、情けない行動、そんなものを引き換えに年を重ねて、顔の皺を増やして、謎のローンを作ったりする。
30歳のある時に、エアーポッツからランダム再生で流れてきた『夢で逢えたら』を耳にしながら、自分は思わず『懐かしいな』と呟いてしまった。
事件だった。あの頃熱狂していたはずの峯田の歌声が、歌詞が、音楽が、全て『懐かしいメロディ』に変わってしまっていることに自分は気付いてしまったのだ。人生を救ってきた楽曲たちが、ただの青春を懐かしむ道具になってしまっている。
もう、あの頃のように峯田を聴くことはできない。聴く資格はない。そんな事を考えさせられた。
確かに抜け出したかった。あのどうしようもない青春から一刻も早く。けれど、峯田の言葉に懐かしいと思ってしまうような大人に、果たして自分はなりたかったのだろうか。
あの夜を何百も何千もくぐり抜けた先にあったのは、そんな風景で、その世界に行くために自分は生きてきたのか。頑張って来たのか。頑張らないで来たのか。
松本人志がムキムキになって、小林賢太郎が過去のコントで責められて、ヨーロッパ企画が乃木坂の子と共演するようになって、自分が一人暮らしをするようになって。
そんな、2021年、夏。うだるような暑さから帰宅して、やるせない自問自答を吹き飛ばしながら、部屋着に変えて、晩飯をうつらうつらと口に運んでいた時。
YOUTUBEの自動再生が懐かしいあの声をパソコンから流してくれた。
それが銀杏BOYZの『少年少女』。
自分が大好きだった峯田が、銀杏BOYZが、GOING STEADYが、そこにいた。
自分の心の中に声も出さずに三角座りしていた、『あの頃』の自分が、立ち上がって口ずさんでいる。
ああ、これだ。歌詞の礫を浴びながら自分は思う。青春の匂い。眩い位の光。
今 目と目があった その瞬間から
ダウンロードされた すべて許された
「ここにいてもいいから」
この歌詞を聴いた時に、峯田は青春を通り過ぎてしまった人たちにすら「ここにいてもいいから」と語り掛けているような気がして止まなかった。その優しさが、あの青春時代から自分を救い上げてくれたんだ。
だいすきはだいきらいだよ
愛の意味も知らずに
夕陽あびた世界のはじっこで
手と手をつないだ
不安定でどうしようもない、けれど愛おしい部分も確かにあったと思える青春時代。自分たちは何を夢見ていたんだろう。何を考えていたんだろう。
2000光年の列車で 悲しみをこえたなら
少年は少女に出逢う
きれいなひとりぼっちたち 善と悪ぜんぶ持って
少年は少女に出逢う
ひとりぼっちは、これからも続いていく。たとえそれが大人になっても。大人になれなくても。子どものままでも。今、子どもでも。けれど、峯田は、そんなひとりぼっちを掬い上げていく。誰も置いていくことなくもれなく全て。
そんな不器用さが恥ずかしかったり、もういいよと思ったこともあったけれど、それも何年年十年と突き通していけば芸術になる。『少年少女』はそんな重ねた年季が生み出した傑作だ。胸を突き動かされてしまった。
松本人志がムキムキになって、小林賢太郎が過去のコントで責められて、ヨーロッパ企画が乃木坂の子と共演するようになって、自分が一人暮らしをするようになって。
だけど峯田は変わらない。変わらない曲と、変わらない気持ちを自分たちに与えてくれる。
30を過ぎた自分の、あの頃を呼び起こす峯田は凄いな。今なら『あの娘は綾波レイが好き』で踊り明かせそうな気分だ。
峯田、令和になって、こんな素敵な曲を出してくれて、本当にありがとう。
大好きです。